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2025.03.28
SSS#6 スポーツとフェミニズム
久乐棋牌游戏スポーツとジェンダー国際平等研究センター(以下、SGE)は、YouTubeチャンネル『Sport for Social Solutions (SSS)』を運営しています。本チャンネルでは、専門家や行政関係者、アスリートなどの幅広いゲストとともに、社会課題解決のプラットフォームとしてのスポーツに光を当て、情報提供や意見交換を行います。
久乐棋牌游戏スポーツとジェンダー平等国際研究センター YouTubeチャンネル:
SSS第6回目のテーマは「スポーツとフェミニズム」。
今回からスタートする新シリーズでは、SGEポスドク研究員の二人が各分野の専門家にインタビューを行い、視聴者と共に学びを深めていきます。
第1回目のゲストは、SGEの特別客員研究員であり、東京大学大学院情報学環の田中東子教授。メディア文化論、ジェンダー研究、カルチャラル?スタディーズを専門とする田中教授との対談を通じて、フェミニズムの視点からスポーツとメディア、そしてスポーツにおけるジェンダー課題について深掘りしていきます。
田中東子氏(東京大学大学院情報学環 教授)
専門分野は、メディアスタディーズ、メディア技術とジェンダー、カルチュラル?スタディーズ、第三波以降のフェミニズム理論など。著書に、「メディア文化とジェンダーの政治学(2012年)」、「ガールズ?メディア?スタディーズ(2021年)」、「いいね!ボタンを押す前に(2023年)」などがある。
スポーツとフェミニズム:スポーツにおけるジェンダー課題
まず、「フェミニズム」の定義について問われた田中教授は、この言葉が時代とともに変化してきたことを解説しました。一般的にフェミニズムは、性差別をなくし、性別に基づく不当な抑圧や不平等を解消するための思想や運動として理解されていますが、その内容は多層的であり、時代ごとの社会的背景を反映してきたと言います。現代は第四派フェミニズムの時代と位置づけられ、これはSNSの普及とともに発展したムーブメントだそうです。
その上で、田中教授は「このフェミニズムのムーブメントが起きている時期と、スポーツの場で女性の権利が獲得されていく時期は、ちょうど同じタイミングであると考えられている」と述べ、スポーツ界におけるジェンダー平等を考える上で、フェミニズムの視点を持つことが重要であることを強調しました。
実際、スポーツの世界には、長らく女性が排除されてきた歴史があります。東京2020大会では、女性の参加率が5割に達したオリンピックも、1896年の第1回アテネオリンピックでは女性の競技参加は認められず、その後も競技ごとに女性のスポーツ参加は制限されていました。例えば、陸上競技では、女性がマラソンに参加すること自体が「身体的に過酷すぎる」とする科学者の言説が展開されるなど、「女性はスポーツに向いていない」「女性がスポーツをする姿は美しくない」といった誤った認識が広がっていました。このように「当時の『女性らしさ』の規範に照らして、女性はスポーツの場から排除されていた」と、田中教授。また、現代では、トランスジェンダー選手の競技参加資格やアスリートの男女間での賃金格差といった課題もあり、スポーツとジェンダーの問題は依然として重要なテーマであることが強調されました。
さらに、田中教授はスポーツ界で女性が直面する「二重規範」についても触れました。女性アスリートが筋肉をつけたり、力強さを求めることは、社会的に期待される「女性らしさ」と対立する側面を持っています。その一方で、女性アスリートには社会から受け入れられるために一定の「女性らしさ」を表現することも求められるという矛盾した期待が存在していると指摘しました。
フェミニズムとインターセクショナリティ(交差性)
現代のフェミニズムは、ジェンダーに関する単一の問題としてではなく、人種や経済的背景といった複数の社会的な差別が交錯する問題として語られています。これを理解するための重要な概念が「インターセクショナリティ(交差性)」です。この概念は、ジェンダー、人種、経済的背景など、異なる社会的差別がどのように絡み合い、個々人の経験に影響を与えるのかを解明するための重要なツールとなっています。田中教授は、1980年代に白人女性中心のフェミニズムに対する批判として生まれた「ブラック?フェミニズム」を例に挙げながら、現代のフェミニズムがもはや単なる女性の権利獲得のための運動ではなく、すべての社会的格差や権力の不均衡に対抗するための広範な運動と結びついて議論されていることを解説しました。つまり、ジェンダーの問題は単独の課題ではなく、他の社会的不平等とも深く結びついているという視点です。
これを受けて古田は、2020年にアメリカでアフリカ系アメリカ人の男性が警察官に命を奪われた事件を発端に全世界に広がった人種差別抗議運動「ブラック?ライブズ?マター(BLACK LIVES MATTER)」運動に触れました。当時、この運動が広がる中で、人種に関わらずすべての命が大切であることを主張する「オール?ライブズ?マター(ALL LIVES MATTER)」のスローガンを掲げる人々が現れました。一見すると、このスローガンはすべての命が大切であるという包摂的な考えを示しているように見えますが、田中教授は「みんなのために」という言葉が逆に社会に根強く存在する不平等を覆い隠してしまう危険性を指摘。社会課題が交差性を持ち、特定の社会的グループに対する差別解消の動きが社会全体に対して利益をもたらす一方で、社会構造に埋め込まれた格差を見過ごさないように、すべてをひとくくりに語らない視点も重要であることを強調しました。
SNS時代のアスリート:自由な発信の光と影
上述の「ブラック?ライブズ?マター」運動では、フィールド内外で連帯を示すアスリートの発信にも注目が集まりました。従来のマスメディアでは、女性アスリートの「性的モノ化」や、競技成績よりも容姿を重視する「ルッキズム」、さらには「ママなのに金」といった性別に基づく社会的役割に関連付けた報道が問題視されてきました。これに対し、SNSの普及により、アスリートは自分の言葉で直接発信できるようになり、一定程度の自由な自己表現の場を得ることができました。
田中教授は、このようなアスリートの自由な発信の場を評価する一方で、「発言した人を守られない状態のまま、公的な場に出してしまう」ことの危険性について指摘します。不特定多数の個人が自由に発信できるSNS上では、性差別や女性嫌悪的な発言を含む個人に対する攻撃的なコメントが直接アスリート本人に向けられてしまう問題があります。田中教授は、このような状況に対処するために、SNSの普及がアスリートにもたらす負の影響についても研究を蓄積していくことの重要性を説きました。
そして、インタビューの最後に、フェミニズムの視点からのスポーツの社会的影響力を問われた田中教授は、女性の権利獲得の過程においてスポーツが果たす役割について語りました。「スポーツの場は、女性が自由に自分の身体を扱える、つまり、自分の意思で自分の身体を扱えるというすごく大事な空間」と強調し、性別に基づく社会的な期待から女性が解放される場所としてのスポーツの重要性を説きました。また、男女間の賃金格差といったジェンダーに基づく不平等やトランスジェンダー選手を含む多様な性の包摂といった現代社会が直面する課題について、スポーツというフィールドを通じて分析していくことの可能性を示唆しました。
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